大宮夜景

 カウンターの若い女性スタッフからカードキーを受け取ると、汚れた衣服とスナック菓子でファスナーが閉まらなくなった黒いユニクロのトートバッグを肩にかけ直した。荷物の重みでバッグの持ち手が肩に食い込むのを感じる。どうやら今日までの勤務のために、身体は自分で思っているよりもずっとひどく疲れているらしい。晩夏の朝日に圧しつぶされながら、背を丸くして職場までの坂を登るみじめな自分の姿が脳裏に浮かび、僕は頬をかいた。

 階段上のセンサーにキーをかざすと、男性専用フロアへ続く、黒く塗りつぶされた自動ドアがぬるりと音もなく滑らかに開いた。

 フロアの内部は、壁も、区切られた休憩スペースも、木目調のデザインで統一されていた。一面に貼られた簡便な合板は、大学のセミナーハウスのような子供だましの軽薄な色合いをしていた。このデザインはすぐに僕に、雑居ビルに入る無機質で周縁的な仮眠のための安宿であることを思い出させないように、との、宿泊客に対する慎重な配慮のための選択だろうと悟らせたので、僕はこのピカピカしたフランチャイズビジネスのオーナーと、その内装デザイナーと、受付の女の子と、自分自身と、すれ違った無精ひげのおじさんに、あらためてゆっくりと同情した。

 レシートに、白抜きに印字された118番のベッドは、緑色に塗られたエリアに並ぶ半個室が集まるブロックの、真ん中・上段にあった。今日が木曜日で、まだ、よかった。レスワースだ。運はまだどん底にまでは落ちていない。もしもこれが満室だったら、とまで考えたところで、脂ぎった中年男性が奏でる歯ぎしりといびきの幻聴を聴いた。

 荷物を置いて身軽になった僕は、靴底のすり減った革靴を引きずりながら深夜営業の雑貨店に向かい、そこでソフトコンタクトレンズの洗浄剤と、替えのインナーシャツとカッターシャツとボクサーパンツを購入した。レジの店員からカッターシャツの返品はできないのでサイズを確認する旨、言われたが、それは僕に返品を訴える体力が残っていないことを確認させただけだった。これは不可避の、そして些細な、しかしそのために反って強くまとわりつく、精神的攻撃だ。店員たちが制度の一部として帯びる、一種のサイキックパワーだ。そのセリフと、万引き防止アラームを鳴らすバーコードを封じるステッカーの貼付を繰り返すことで、彼らは巨大な魔法陣を起動している。

 2階分続くエスカレーターを下って、牛丼と炒飯のいずれにするかを考えた。窓から牛丼屋のカウンターが満席に近いのを確認して、炒飯に決めた。

 12時が近いためか、客はまばらだった。だから牛丼屋にする人が多いのかもな、といまさらに納得した。僕はキムチ炒飯と餃子のセットと生ビール・中ジョッキを頼んだ。慣れない枕に寝付けなくなることが怖かったからだ。必要以上に胡椒が効いた炒飯に舌を痺れさせながら、ぼんやりと考えた。

 ある種の業務について、自分のこだわりに固執してはいけない、かといって、人の意見から出発するのでは、ゴールに到達しえない。それはどこか、ボルタリングに似ている。たしかに、目印はあるし、多くの人はそれにある程度は従う、結局はだれもが大部分をなぞっていくものではあるのだが、その細かな選択であるとか、手順は、自分なりの経路設計がなければ、中途で頓挫するものなのだ。あくまで、その人の身体によってそのつどためされる、人にではなく、みずからの寡黙な身体にたずね、身体のうちに一つの普遍的な答えをつかむのでなければ、決して前進しえないものなのだ。

 ビールジョッキに残る白い泡の痕を、ガラス越しに指でなぞりながら、僕は自分に言い聞かせていた。