落語は「誰かになってみる」こと--落語ワークショップで参加者の情緒と表現を引き出す

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1.昨日(2022/08/28)、「らくご大隈塾」に参加しました。

 講師は「落語教育家」の楽亭じゅげむ師匠(小幡七海さん)!

 じゅげむ師匠は学生のとき「全日本学生落語選手権」で優勝し、桂文枝師匠に将来を嘱望されつつも、ずっと夢だった小学校教員になりました。しかし、落語の魅力を教育プログラムにして全国に広めようと思い立ち、教員を辞めて「落語教育家」として活動を開始し、今では全国の学校や企業から引っ張りだこの大活躍をされています。

 「らくご大隈塾」では、じゅげむ師匠の古典落語をたっぷり二題聴かせていただき、アプリ「slido」とグループワークを用いたワークショップで鑑賞して考えたことを共有しました。

 演目は「動物園」と「ちりとてちん」。「動物園」は勤務校での芸術鑑賞の際に二度聴いたことがありましたが、上方の言葉でじゅげむ師匠がやられているのを聴いて、柔らかくてまた違った印象を受けました。「ちりとてちん」は、ダメな人物たちによる日常的な小さいドラマで、「共感と表現」へと参加者を巻き込んでいく落語ワークショップの材料として最適だと思いました。

 

2.落語の「不易流行」

「僕も演劇表現を授業に取り入れたい」と思って臨んだ僕にとって、ワークショップのなかで面白かったのは、じゅげむ師匠の落語観でした。なぜ、落語なのか?

 じゅげむ師匠は、落語は400年残っているけれども、それほど長く残っている核心には「共感」があるとおっしゃいます。落語には(ご存じの方には「与太郎」に典型的な)「ダメな人」がたくさん出てきます。そんなに肩肘張った立派なもんじゃない。その気軽さ、身近さが時代を越えて人を惹きつける。

 人が崩れていくドラマのなかで、いろんなユーモアや知恵やコミュニケーションの方略なんかが現れてきて楽しみながらも観客は、自分ではない多様な「他者の靴を履く」ことができる。

 それは、噺が落ちて日常に帰ってきても「影」として僕たちの中に残って、いざという時に「こういう手もあるぜ」とささやいてくれたりする。建前として虎を演じなきゃいけないときに、「パンくれ」と耳打ちして本音をちょっと漏らす…という手もあるぜ、なんてね。

 それから「流行」は、やっぱり、じゅげむ師匠の語りの技について解説してくれたところが、表現を指導しなくちゃいけない僕にとっては面白かったです(実は国語科の教員だったりするのです)。

 落語は「人を引く」微妙な技巧が無数に散りばめられて成立している演劇芸術です。じゅげむ師匠から教わったテクを一つだけ勝手にお裾分けすると、「人を引く」には「演技を入れる」とよいのだそうです。人は、目の前で演じられるとつい、聞き込んでしまう。なぜでしょう。僕の仮説は、それが二人称で呼びかけられるようだから、です。人は他人の〈顔〉が自分に迫ると、どうも「応答」してしまうらしい。

 グループワークでも、話芸の工夫について話し合ったところが一番、僕は面白かったです。

「動物園」のオチが意外で面白いよね。でも、これって観客が上の空になってオチがどんなもんかを勝手に先読みして想像してしまったらバレちゃうかもしれない。ということは、気を逸らさせないように引きつけておく工夫がいろいろあるんだろう。それは、例えば手品の視線誘導みたいなものかな。あ、なるほど。なら、 例えば、虎の歩き方のあの細かくて妙にリアルなやつも、そういう罠っていうか、ここにいさせておく技なんだろうね、なんて仮説を議論していました。

 

3.探究的な学習の基盤となる「面白がる力」へ

 僕はふだん、授業や生活の指導において、「探究的な学習」の心構えを大事にしています。探究とは、僕の定義で言いますと、対象とその説明の「一対一」対応に満足せずにそれをそのようなものとして扱われさせている/そういうものとして現象させている「力や視点や制度」といった外的規定性を意識する、ということです。

 …力みました。もうちょっとかみくだくと、要するに頭使って鵜呑みにするな、ということ、なんで?とか本当?とか、疑ったりいじくってみたりしろ、ということです。

 今回のワークショップに参加し、落語をはじめとした演劇表現は探究的な学びの姿勢・知的基礎体力を養うためにとても有効だと感じました。落語が聴き手に促す共感と表現こそ自ら考え、知を探究する主体性の根っこになるからです。

 ひな鳥が親鳥からエサを口移しされるように知識を注入されるのではぜんぜん探究になりません。単に、自分で跳ぶしかない。同様に、「学習する」主語は生徒たちであって、面白い授業をやってくれる素晴らしい先生を待っている生徒は結局、大人になることができません。探究の核心には物事を「面白がる力」があります。何もない退屈な日常の中にユーモアやドラマを積極的に見てとる(ずらしながらノリノリに乗る)落語が生徒たちの中に眠る想像力を揺り起こしてくれるにちがいありません。

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撮影/佐藤洋輔さん https://chiikitoeizou.com/